音楽の好みと価値観──40歳を前にして思うこと
気づけば、40歳がすぐそこまで迫ってきている。20代の頃には「40歳なんて遠い未来」だと思っていたのに、まるで気づいたらゴールテープが見えてきたような気分だ。日々は変わらないようでいて、確実に時間は過ぎている。そんなある日、職場の後輩に言われた。
「○○さん、聴いてる音楽、若いですね」
へぇ、そうなんだ?と少し驚きつつ、僕は聞き返してみた。
「そうなの?僕の年齢だったら、誰の音楽を聴いてる感じなん?」
彼は少し考えてから、こう答えた。
なるほどなぁ……思わず頷いてしまった。確かにその通りだ。僕が10代を過ごした90年代後半から2000年代初頭にかけて、GLAYやL'Arc〜en〜Cielの勢いは凄まじかった。CD全盛期、チャート争いがテレビのニュースで取り上げられ、リリースのたびに「シングル3枚同時発売!」「アルバム2枚同時発売!」といった大々的なプロモーションが行われ、まさにお祭り騒ぎだった時代。
中学生や高校生にとって、一枚3,000円近いアルバムを2枚同時に買うなんて到底無理な話だった。だから、友達同士で「じゃあ俺、こっち買うから、お前はそっち買って貸してよ」なんて会話が自然に交わされていた。思えばあの頃、音楽ってすごく“特別”だった。
そんな時代を過ごしたからこそ、「40歳前後=GLAYやラルクを聴いている」というイメージが彼の中にあるのだろう。確かにわかる。僕自身だって、「お年寄り=演歌」と思っていたし、それと同じような先入観が、自然と芽生えてしまうのかもしれない。
HIPHOPに魅了された10代
だけど、実際のところ、僕は10代の頃からHIPHOPにどっぷりだった。ちょうど日本でもHIPHOPが市民権を得始めた時代。海外のアーティストならエミネム、日本ではZEEBRAやRHYMESTER、KAMINARI-KAZOKUあたりが僕のヒーローだった。言葉で戦う、というスタイルがとにかくかっこよかった。悪ぶってるわけではないけど、どこか反骨精神があって、「世間に迎合しないオレ」がそこにいるような気がしていた。
エミネムの半生を描いた映画『8 Mile』は、ビデオテープが擦り切れるくらい繰り返し見たし、自分でもラップを書いて、仲間とマイクを持って遊んだりもした。今思えば、歌詞の意味なんてそこまで深く理解できてなかったかもしれないけれど、とにかく「自分を主張する」その姿勢が好きだった。
でも、それは同時に、自分の中に偏った価値観を生み出してしまった。「HIPHOPこそリアル。それ以外は全部フェイク」。ポップスは商業的なだけ。自分で作詞作曲してない音楽なんて中身スカスカ──そんな極端な物言いを、まるで正義のように振りかざしていた。
今思えば、ずいぶん恥ずかしいことを言っていたと思う。当時の僕は、ギターを少しだけ弾けて、バンドもかじっていた。ライブも何度か経験していたし、メジャーデビューがどれほど難しいことか、頭では理解していたはずなのに。
並大抵の努力ではメジャーデビューという扉を開くことはできないのだ。
それでも「リアルじゃない」とか「売れ路線はダサい」なんて、上から目線で語っていた自分がいた。いったいどこからその理屈を得たのか、今ではまるで謎である。
音楽の多様性に気づき始めた20代後半
そんな偏った自分が、少しずつ変わっていったのは25歳を過ぎた頃だったように思う。
きっかけの一つは、アイドルブームだった。特にAKB48の存在は衝撃だった。当時、「アイドル=男性オタクが追いかけるもの」というイメージが一般的だったと思う。だけど、AKBは女性ファンも多くて、職場の若い女性が「ヘビーローテーション、元気出るよね」なんて言っていたのを聞いたとき、「へぇ……そうなんだ」と驚いた。
実際に聴いてみると、これがまた悪くない。ポップで元気で、MVも明るくて、観ていて楽しい。アイドルはただの商売、なんて偏見は簡単に壊された。
それ以降、僕は“いろんな音楽を聴いてみよう”と思うようになった。それまで「絶対に聴かない」と心に決めていたジャンルにも手を伸ばし始めた。演歌もそのひとつ。改めて聴くと、あの語りかけるようなメロディと歌詞の深さに心を打たれる。昔の歌謡曲も試してみた。70年代や80年代の音楽には、その時代の空気が詰まっているようで、まるでタイムスリップするような感覚になった。
古いものの中に新しさを見つける
不思議なもので、“古い”音楽を聴くことで、自分の中の価値観がどんどんアップデートされていくのを感じた。今まで敬遠していた世界には、実は知らない魅力がぎっしり詰まっていたのだ。
これは音楽に限らないかもしれない。食べ物、服、価値観、人との関わり方……若い頃は、自分の好みや正しさがすべてだった。でも年齢を重ねることで、他人の視点を借りて物事を眺められるようになった気がする。
そして何より、音楽の好みが広がったことで、人と話す幅も広がった。世代や趣味が違っても、「あ、それ聴いたことある!」と話題がつながることがある。それだけで、心の距離は少し縮まる。
今は、聴く音楽に境界がない
現代は、CDを買わなくてもサブスクで何百万曲も聴ける時代。SNSやYouTubeで、無名だったアーティストが一夜にして話題になる。紅白に出場するようなアーティストも、昔とはまったく違う文脈で生まれてくる。
いまや、「えっ、この人が?」と驚くことも少なくない。でも、それが現代の面白さでもある。才能や表現が、誰かの目に留まれば広がっていく。そこに“ジャンル”の壁はほとんどない。
だからこそ、「この年齢だからこれを聴くべき」とか、「このジャンルは自分には関係ない」といった考えは、もったいないと思う。音楽はもっと自由でいい。新しい音楽に触れることで、新しい価値観に出会える。その感覚は、まるで旅をしているようなものだ。
そして、それは人との関係性にもつながっていると思う。相手の好きな音楽を知ることは、その人の背景や価値観に触れることでもある。理解し合うことの入り口に、音楽がある。なんて素敵なことなんだろう。
気がつけば、僕は昔のように音楽に“縛られる”ことはなくなった。ジャンルにこだわらず、年代にこだわらず、今そのときに気になった音楽を、素直な気持ちで楽しめるようになった。
ロックだろうが、ラップだろうが、アイドルソングだろうが、クラシックだろうが、全部が「その時代、その人」の価値観を映している。それを知ることは、すごく楽しい。
だから僕は、これからも自分にとって新しい音楽を探し続けるつもりだ。そして、いま隣にいる誰かと、音楽の話で盛り上がれたら、もっと嬉しい。
さて、明日は何の音楽を聴こうか?