時間の流れをスローにする祖母の魔力
それは、まだ私が小学生だった頃のこと。
母方の祖母の家に、一人で行くことになった日がある。
どうしてそうなったのか、今となってはまったく思い出せない。ただ、母も父も何かの都合が重なったのだろう。気づけば私は一人、祖母のアパートの玄関の前に立っていた。
小さなアパートのドアを開けると、ふわりとした香りが鼻をくすぐった。
柑橘系の果物の香り。たぶん、みかん。それか、名も知らぬ柑橘系の果物。
玄関からすぐのところに小さな台所があり、そこに置かれた丸い木製のテーブル。その上に、艶やかな皮をまとった果物たちが無造作に盛られていた。
「来たのかい、ひとりでえらいねえ」
そう言って祖母は、笑いながら私を迎え入れてくれた。
私は少し恥ずかしくて、でもなぜか誇らしいような気持ちになって、黙って頷いた。
祖母は私に果物の皮をむいてくれた。ゆっくりと、丁寧に。
その手つきは、まるで時間の流れそのものを扱うかのように慎重で、まったく無駄がなかった。
「はい、あまいよ」
その声に促されて一房口に入れる。さわやかな酸味と甘みが口いっぱいに広がる。
テーブルには、ほかにも不思議なものがあった。
小さな袋に入った甘納豆。どこかの地方の特産品らしい、見たこともない食べ物。
そんな“謎”が、祖母の家にはよくあった。
私はそれらに興味を持ちつつも、どう接していいか分からず、なんとなく触れないままにしていた。
食べ終えると、祖母は静かに後片付けをはじめる。その手際も、驚くほどゆっくりだった。のんびり、丁寧に、暮らしの音が部屋に溶けていく。
だが、子どもにとって、その後の時間は退屈で仕方がないものだった。
ゲームもない。見たいビデオテープもここにはない。テレビも消されている。
さて、どうしよう?
こたつに潜り込む。反対側から飛び出す。天井を見つめる。
何もない時間。
ただ、祖母は静かに小説を読んでいる。
普段は首からぶら下げているだけだった眼鏡を、今日はしっかりと鼻にかけている。
めくるページの音だけが、部屋の空気をかすかに揺らす。
石油ストーブの上には、銀色のやかん。
そこからは、細く白い蒸気が立ち上っていた。
じゅじゅじゅ……と、小さくて柔らかい音。
やかんが鳴くように、部屋に湿り気を運んでいた。
どうしてずっとやかんを置いているんだろう?
と、ふと疑問に思う。
あたりには、相変わらずあの柑橘の香りが漂っている。
時計をちらりと見る。
……まだ5分しか経っていない。
長い。あまりに長い。
家に帰ったらゲームをしよう。
あのステージ、昨日クリアできなかったからな。
夕飯はなんだろう?カレーだといいな。
そんなことをぐるぐると頭の中で巡らせながら、私はいつしか眠りに落ちていた。
どれくらい眠ったのだろう?目が覚めて、期待をこめて時計を見た。
……まだ30分も経っていない。
祖母は、同じ姿勢で、小説を読んでいた。
ページをめくる音、ストーブのやかん、柑橘の香り、そして祖母。
変わらない。何も変わらない。私はまた天井を見つめた。
その静けさに、ひどく退屈しながらも、なぜか心の奥で妙な安心感のようなものを感じていた。
ふと、思う。
祖母は、もしかして「時間」を操れる神様なのではないか?
時間の流れを、まるでスローにする魔力。
退屈すぎるほどのその空間に、私はいまでも強く引き寄せられる。
やがて父が迎えに来たのだろうが、その瞬間のことは不思議と覚えていない。
だけど、その前の、何も起きない、ただ時間がゆっくりと過ぎていく感覚だけは、鮮明に記憶に残っている。
やかんの蒸気。
果物の香り。
祖母がページをめくる音。
そして、たまに祖母が発する「寒くないかい?」という、たった一言。
静けさが染み込んでくる、そんな時間だった。
あの頃は、ただ退屈だと思っていた。
けれど今、あの空間は、私がいま一番求めているものと、寸分違わず一致しているように思える。
情報に追われ、常に何かに急かされる日々。
スマートフォンの通知が鳴り、会話は速く、時間は溶けるように消えていく。
そして、どれだけ頑張っても、「ゆっくりする」という感覚は、どこかへ置き去りになっている。
本をゆっくり読むことができるだろうか?
テレビもスマホもつけず、何もせずにこたつに潜り込んで、ただ天井を見つめることができるだろうか?
やかんの音だけを聞いて、誰かのぬくもりを感じながら、何もしない時間を楽しめるだろうか?
たぶん、今の私には難しい。
けれど、ふと立ち止まったとき、あの祖母の部屋を思い出す。
あの時間の流れ。
あの魔法のような空間。
祖母は、きっと今でも同じように、ゆっくりと小説を読んでいるのだろう。
やかんをストーブの上に置き、果物をテーブルに置き、窓の外をぼんやりと眺めながら。
その暮らしの中に、自分の時間を取り戻す術があることを、祖母は教えてくれていたのかもしれない。
子どもだった私に、退屈という名の贅沢を。
時間を大切にするとは、きっと「急がないこと」なのだ。
「何かをしなくても、満たされていく」という感覚を、祖母は知っていた。
私には、できるだろうか?
いや、きっと、やろうと思えばできるはずだ。
ほんの少しだけ、祖母の魔力を思い出せばいい。
深呼吸をして、スマホを伏せ、テレビを消し、ページをめくる音に耳を澄ます。
ストーブの上にはやかん。
テーブルの上には、甘酸っぱい香りのみかん。
そうして私は、もう一度、あの時間の中に身を置いてみたいと思うのだ。