僕が子供の頃のおばぁちゃんとおじいちゃん、僕の子供のおばぁちゃんとおじいちゃん
先日、祖母が亡くなった。84歳だった。
人生の終わりはいつだって、突然やってくるように思えてしまうけれど、決して“突然”ではない。時間は静かに、けれど確実に流れている。その流れの中で、僕たちは年を重ね、別れを経験し、また次の世代へと命をつないでいく。
気づけば、僕も40歳にリーチがかかっている。祖母が亡くなったことで、「あぁ、自分ももうそんな歳か」と、改めて自分の立ち位置を感じた。祖母にはひ孫がいる。つまり、僕の子供たちだ。家族が増え、命がつながっていることを実感すると同時に、ふと立ち止まって、ひとつの時代が終わったような感覚にもなった。
葬儀の日。棺の中に眠る祖母の顔を見たとき、なぜだか「おばちゃんが死んでしまった」と、子供のころの呼び方がぽろりと心に浮かんだ。静かに目を閉じ、痩せ細ったその顔には、歳月の重みと同時に、どこか穏やかな安堵のようなものが宿っていた。
葬儀が終わり、祖母の家の縁側にひとり腰を下ろして、ぼんやりと田んぼを眺めた。春のやわらかな風が吹き抜け、畑にはまだ芽吹ききらない野菜たちが揺れていた。昔、この縁側でスイカを頬張っていた記憶が蘇る。
けれど、これは祖母との思い出にひたるだけの、独りよがりな話ではない。僕が今、改めて感じているのは、「家族」というもののかたちが、時代とともに大きく変化してきたということ。祖母の死は、ただの別れではなく、時代の変わり目にそっと背中を押されたような出来事だった。
あの頃のおばぁちゃん
僕が子供だった頃、祖母はまさに「ザ・おばあちゃん」という存在だった。田んぼと山に囲まれた少しボロい田舎の家。天井は高く、木のきしむ音がやけに大きく聞こえた。夏になると、畑に連れていかれ、トウモロコシやスイカを収穫した。採れたての野菜をかじるあの感触、キンと冷えた井戸水の味、蝉の鳴き声。それらは今でも鮮明に思い出せる。
だけど、正直な話をすると……僕は祖母の家に行くのがあまり好きではなかった。
ゲームはないし、エアコンもない。テレビも自分の家より古くて、チャンネルを回すたびにバチバチとノイズが走った。遊ぶものといえば、外で虫を追いかけるか、農作業の手伝いをするかしかなかった。今でこそ「自然に囲まれた贅沢な環境」と言えるのかもしれないが、当時の僕にとってはただの退屈だった。
それでも、祖母がたまにくれるお小遣いが楽しみだった。封筒に入った数枚の千円札。それがあるときは、「行ってよかったな」と思えたが、それがなく、代わりに野菜やお米を両親に渡しているのを見た日には、「来なきゃよかった」と心の中でつぶやいた。
そんな祖母は、少し小柄で、いつも不思議な髪型をしていた。パーマなのかクセ毛なのかよく分からない、でもどこか愛らしい、年配の女性特有の髪型。言葉少なで、よく笑うわけでもなかったけれど、背中で語るような人だった。僕はその背中を、なんだか少し怖いような、でも頼もしいような気持ちで見ていた気がする。
現代の「ばぁば」と「じぃじ」
そして今、僕には子供がいて、僕の両親――つまり祖母の子供である人たちが「おばあちゃん」「おじいちゃん」になっている。だけど、僕が子供の頃に抱いていた「おばあちゃん」「おじいちゃん」のイメージとは、まるで違う存在だ。
まず、家が違う。田んぼも畑もない。エアコン完備、プレステ4に最新のパソコンまで揃っている。僕の両親はスマホを器用に使いこなし、LINEグループで家族の連絡を取り合い、孫たちの写真を加工して送ってくる。
僕の子供たちは、そんな「ばぁば」と「じぃじ」の家に行くのが大好きだ。ユーチューブをいくら見ても怒られないし、じぃじは一緒にポケモンGOをやってくれる。夏の散歩も、スマホ片手にモンスター探し。ばぁばはお菓子やアイスを買ってくれるし、誕生日のプレゼントだって一緒にショッピングモールへ行って選んでくれる。
驚くべきは、その自然さだ。僕の子供たちは、僕を差し置いて「ばぁばとじぃじと行くね!」と手をつないで嬉々として出かけていく。その後ろ姿を見送るたびに、「時代は変わったな」としみじみ思う。
僕が子供だった頃、「祖父母の家=ちょっと面倒な場所」という印象があったのに、今の子供たちにとってそれは「楽しい場所」になっている。
時代がくれた距離の変化
一体、何がこの違いを生んだのだろう?
もちろん、時代背景や価値観の変化もある。かつては祖父母といえば、厳格で、何かと「しつけ」や「教え」を説く存在だった。だが現代では、親がしつけ役を担い、祖父母は“癒し”の存在になっているように感じる。
そして、ITやモバイルツールの進化も大きい。僕たちが子供の頃には考えられなかったが、今や動画を一緒に観たり、ゲームを一緒にしたり、家族のグループチャットで日常を共有するのが当たり前になった。テクノロジーは冷たいものだと思われがちだが、こうして“家族の距離”を縮める、あたたかい役割も担っている。
亡き祖母へ、ありがとうを
祖母が亡くなった日の夜、僕はひとり、昔のアルバムをめくっていた。色褪せたの写真の中で笑う若き日の祖母。その横には、小さな僕の手を握る姿もあった。
あの頃、僕は祖母が苦手だった。でも、祖母は僕のために畑に連れていき、冷たい井戸水をくれ、畳の上に座って一緒に夕飯を食べてくれていた。あの時間が、僕の「家族」の根っこを育ててくれていたことに、大人になった今、ようやく気づけた気がする。
祖母がいたから、僕がいて、僕の子供がいる。そう思えば、祖母は間違いなく僕の「始まり」の一部だった。
ありがとう、おばあちゃん。
幸せのかたち
僕の子供たちが、ばぁばとじぃじと手をつないで歩く姿を見るたび、「家族っていいな」と思う。
それは、昔の祖母との記憶とは全然違う。でも、そこに共通するのは「誰かを想う気持ち」であり、「つながり」だ。
テクノロジーの進化によって、祖父母と孫の関係はより“近く”“カジュアル”なものになった。けれど、その中にある優しさや温もりは、昔と何ひとつ変わっていない。
もしかすると、これこそが“幸せ”のかたちなのかもしれない。
時代は流れる。人は老い、やがて去っていく。それでも、想いは受け継がれ、新しい形で家族がつながっていく。
それを、僕はこれからも、大切にしていきたい。