モノと記憶と、少しの学びblog

モノと記憶のよもやま話

静かな朝に足し算を——心を整えるひととき

静寂の中で見つけた、私の足し算

長かった冬がようやく終わりを告げ、頬に触れる風がどこか柔らかくなってきた。 季節が春へと移り変わるこの時期、私は休日の朝を特別なものにしている。

目が覚めるのは、まだ夜の帳が空に色を残す4時、あるいは5時。 深い静けさの中で目を覚まし、カーテンの隙間からほんのり滲む明かりに、今日も生きていることを確かめる。

キッチンへと向かい、ゆっくりとカフェオレを淹れる。 ふぅ、と湯気と共に吐き出す息に、まだ夢の欠片が混じるようだ。 カップを手に取り、パソコンの電源を入れると、軽やかなボサノバが小さく流れ始める。

 

仕事用の資料を作ったり、調べものをしたり、ブログの記事を書いたり。 早朝のこの時間は、誰にも邪魔されない、私だけの神聖な時間だ。 空気が澄んでいて、時間の流れすら穏やかに感じる。

冬の間は、寒さと暗さに押されて部屋に留まることが多かった。 だが、春の訪れとともに私は外へと誘われるようになった。 暖かくなった空気に背中を押され、自然と朝散歩へと足が向くのだ。

 

静かな町。 まだエンジン音も、話し声も、生活の気配すらない。 まるで時間が、私一人のために停止してくれているかのような錯覚に陥る。

朝の匂いというものがある。 冷たさを残しつつも、どこか湿った土の香り。 昨夜の雨が路面にしっとりと残した名残。 それらすべてが、深く、静かに、肺へと染み渡る。

 

歩く道は毎回ほぼ同じ。 そして、すれ違う顔ぶれも、だいたい同じだ。 顔を覚えるわけではないけれど、何となく、何度も目にする誰かの存在は、確かに小さな連帯感を生む。

ふいに、見知らぬ顔とすれ違う朝。 「あれ?新入りか?」 そんなふうに心の中で、勝手に仲間意識を抱きつつ、少し微笑んでしまう自分がいる。

 

朝という時間帯は、不思議な世界だ。 同じ街、同じ家、同じ人間たちが存在しているのに、ほんの数時間違うだけで、まるで別世界になる。

車が走り、子供たちが登校し、人々が出勤する。 昼間の世界は、もう誰もが知る『日常』の姿だ。 だが、早朝には、それがまだ始まっていない。 静止した時の中、目に映るすべてが静謐に包まれている。

この非日常感。 この静かな空気。 この密やかな孤独感。

私はこの世界に、抗いがたい魅力を感じてしまうのだ。

もしかすると、普段の生活があまりに慌ただしいからかもしれない。 あるいは、心のどこかで、日常から少しだけ逃げ出したい自分がいるからかもしれない。

 

精神科医であり、ユーチューバーでもある樺沢紫苑先生が言っていた。 "うつ病には、睡眠、運動、朝散歩が効果的だ"と。 科学的な根拠もあるらしい。

確かに、朝散歩をしていると心が軽くなる。 理由はわからないけれど、空を見上げ、深呼吸をするだけで、昨日の悩みがほんの少しだけ遠ざかる。

そして、こう思う。

"考えても、解決できないこともあるんだ"と。

 

ある日の朝、私は考えすぎて思考が暴走しそうになったことがある。 未来の不安、叶わぬ夢、取り戻せない過去。

そのすべてが、頭の中でぐるぐると回り始め、息苦しさに変わる。

そんなとき、私はパソコンの電源を切り、カップを置き、玄関のドアを開けた。 そして、着の身着のまま一歩、外へと踏み出した。

冷たい空気が足元から体全体に広がり、肺を満たしていく。 頭の中で暴れ回っていた思考たちは、次第に音を失い、静寂に吸い込まれていった。

 

部屋に戻ると、またカフェオレを淹れる。 お気に入りのマグカップに、温かい飲み物を注ぎ込むその一連の動作すら、今はなんだか神聖に思える。

私は、ゆっくりと思考を整えた。

 

「足し算をしよう」と。

散歩+カフェオレ+PC+音楽

 

これだけでいいのだ。 これ以上、何かを加える必要はない。 これ以上、何かを求める必要もない。

この小さな世界、この小さな式が、今の私を満たしてくれる。

静かな朝にしか味わえないこの感覚。 車の音すら、遠く聞こえるだけのこの世界では、心のざわめきですらうるさく感じる。

だからこそ、思考の渦に巻き込まれそうなときは、静かな朝に身をゆだねる。 思考を止めて、ただこの世界の中に立ってみる。

朝露を踏みしめる足音、遠くで鳴く鳥の声、まだ眠たげな木々のざわめき。

それらすべてが、私を包み込み、"今ここ"に引き戻してくれる。

人間、生きていれば不安になるものだ。 未来が怖くなることも、現実に押し潰されそうになることもある。

だけど、そんなときこそ、無理に答えを出そうとしないでいい。 ただ、簡単な足し算をしてみればいい。

散歩、カフェオレ、PC、音楽。

それだけで、生きていける朝があるのだから。

静かな朝に、余計な思考を足さず、ただシンプルな足し算だけをして、生きていく。

そんな世界が、今日もここにある。


 

"静かな朝に、あなたに必要なものだけを、足し算してみてください。"